私が台湾大学の昆虫学科に赴任してからちょうど二年が立ちました。まだこちらに来てそれほど時間がたった訳ではないのでここでは主に来台以前のことについて記述したいと思います。
日本で
私が生まれ育ったのは三重県の伊勢市です。小さな街ですが自然が豊かで住みよいところです。私の実家の近くを流れる宮川は毎年行われる水質検査で日本一に何度も選ばれている清流です。伊勢市は伊勢志摩国立公園の一部で観光名所なので海外からの観光客も多いですが台湾での知名度は低いようで、知っている人は一割くらいでしょうか。近辺の大都市は名古屋ですが、伊勢からの距離は大阪も大して変わりません。ちなみに松阪牛で有名な松阪は伊勢のすぐ隣です。
大学はアメリカに行きました。留学の動機は「面白そう」だったからです。高校生のときに書店で見かけた留学雑誌を読んで非常に興味を持ちました。当初はパン屋になろうと思い、フランスにパンの修行をしに行こうと計画しました。私は中学生のときに新聞配達をしていて少し貯蓄があったのでその資金を利用してまず夏休みにフランスに語学留学をして様子を見てこようと思いました。実際に手続きをして飛行機のチケットまで取ったのですが、フランス行きのチケットを急遽アメリカ行きに変更して高校三年の夏休みに一ヶ月間語学留学しました。この変更の背景にはいろいろな理由がありますが大学は行っておけという意見が周りに結構あったのです。海外の大学を目指すときにアメリカかがもっとも無難な選択肢だった事と、どうせアメリカの大学を目指すのなら一ヶ月の語学留学もアメリカに行って様子を見ておこうと思い行き先を変更したのです。当時の私はパン屋になることよりも海外に行くことに興奮していたので泣く泣くフランス行きを断念したわけではありません。
アメリカで
アメリカでの一ヶ月間の語学留学はとても楽しく、翌年学部生としてアメリカに再留学することになります。幸運にも奨学金が取れたので周りの反対も弱まりました。学士号はオハイオ州のマイアミ大学でとりました。専攻は動物学です。
私の現在の研究の方向性はマイアミ大学で形成されました。ある日図書館で本棚を当てもなく眺めていると「昆虫行動」という本があって衝撃をうけました。おもしろそうだというのはもちろんなのですが、それが学問として成り立っているとは知らなかったのです。早速マイアミ大学で昆虫の研究できる研究室を探しました。マイアミ大学では厳密には昆虫の行動を研究している研究室はなかったのですがクモの行動や生態を研究している研究室があり、そこの教授に頼んでメンバーに入れてもらいました。そのときハエトリグモを使った研究を自分で計画しました。私は学士号(動物学科)、修士号二つ(生物学科と数学科)、と博士号(動物学科)、ポスドク、と長年アメリカに滞在しましたが学部生のときに始めたハエトリグモを題材とした研究はその時から今までずっと続いています。
現在台湾大学で行っている研究は大学院時代にやっていた研究の延長線上にあるものです。簡単に説明すると群集生態学と行動生態学の混ざったような研究をしています。大学院ではいかに個々の動物の行動が群集動態(例えば種の共生の可能性)に影響を及ぼすかを研究しました。たとえばハエトリグモは天敵の居る所では天敵回避の行動をとります。群集動態を理解するのにそのような個体レベルでの行動を考慮しないといけないということがいろいろな研究でわかってきたのですが、私はそれをハエトリグモを題材に研究しました。台湾大学に来てからは行動そのものより個体間の違いに注目しています。人間と同じで生物には個体差があります。たとえば同じ種の同じ年齢の同じ大きさのハエトリグモでもすばやく動けるものもいれば遅いものもいます。こういった個体差は統計解析では殘差として扱われ注目されないのが普通ですが実はこの個体差も重要なのです。そういった個体差の生態学における普遍的な重要性について研究しています。
そして台湾へ
台湾に来たのは渡米の理由と似たものがあります。アメリカには長年住んだので漠然と他の国に興味を持っていました。その時に台湾大学昆虫学科の公募をみて、これだと思いました。こんなにも面白そうでしかも環境の整った職場は世界中どこを探してもありません。台湾では食生活も向上しました。今では慣れてしまってその感動はなくなりましたが、来台当初はコンビニに無糖緑茶とおにぎりが売っているだけで天国のように思えたものです。地理的には日本に帰省するにも便利です。いろいろ利点をあげるのは簡単ですが実は便利面は私にはさほど重要ではなく、やはり最大の魅力は面白そうだったからで、なぜ面白そうだったかといえば台湾の文化に興味を持ったからです。
台湾とアメリカの学生の違いですが、個人の学生の違いというよりも意識環境の違いがあるように感じられます。私的な意見ですが台湾では学生が学問と向き合っていない率が高いと感じています。学部でも大学院でもその傾向はみられ、単位もしくは学位を得るために仕方なくやっている感じがするのです。その背景にはそれが当たり前という意識がここにはあるのではないかと思うのです。どんな環境でも自己を確立している学生は自ずと向上していきますが、大概の学生は周りに流されます。しかし逆を言えば別の環境では同じ学生が高い意識を持ってお互いを向上しあっていくのだと思います。そういう意識環境の育成に貢献できれば良いと思います。
私は同じ年月を日本とアメリカでそれぞれ過ごしました。その後台湾に来たものですから自分の中では第一章(日本)、第二章(アメリカ)に続く第三章が台湾で始まったような思いで現在の状況をとらえています。幸いにも昆虫学科の先生方を初めとする台湾大学の皆様には親切にしていただき、とても快適にやっています。いろいろな相談ごとも親身に聞いていただいて大変感謝しております。私も頑張って台湾大学のコミュニティに貢献できるように成らなくてはと思っております。
圖1:ハエトリグモ。
圖2:溪頭で野鳥観察。
圖3:研究室ミーティング。
圖4:導生と夕食。
自從我來臺大昆蟲系任職到現在正好滿兩年。因為我來到這裡的時間還不是很長,且容我在此先敘述來臺前的經歷。
在日本
我出生於三重縣伊勢市,伊勢市雖然城鎮規模不大,但擁有怡人的自然環境,是相當適宜居住的地方,例如流經我老家附近的宮川,在每年例行的水質檢查中就多次獲選為日本第一乾淨的河流。伊勢市因為部分地區位於著名觀光景點-伊勢志摩國家公園內,所以海外的觀光客很多,但在臺灣似乎知名度不是很高,不曉得聽過這個地方的人有沒有一成。鄰近伊勢市的大都市還有名古屋,距離與到大阪差不多。順帶一提,因生產松阪牛肉而很有名的松阪,就位於伊勢隔壁。
我大學在美國念書,當初留學的動機就只是因為「感覺很有趣」,其源自於高中的時候在書店讀了一本留學雜誌讓我產生了這股念頭。其實我當初想成為麵包師傅,甚至已經訂定好留學法國的計畫。剛好我在國中時因為曾經從事送報的打工有一些積蓄,所以我本來打算利用這些積蓄,在暑假時前往法國進行短期語言留學順便探查當地情況,但實際上我拿到機票後,又突然把目的地從法國變更為美國,最後我就這樣在高三的暑假前往美國進行了一個月的語言留學。這樣突然變更目的地有諸多原因,其中之一就是我周遭有很多意見認為要前往法國等到讀完大學再說。另外還有意見認為如果大學想要留學海外,選擇美國是最沒問題,而我也想到,如果真的要留學美國,那還是先進行一個月的語言留學前往探查情況為佳,我就因此突然變更了計畫。而比起放棄當麵包師傅的痛苦,更多的是前往海外留學時的興奮感,所以我並沒有因此而感到太沮喪或難過。
在美國
在美國語言留學一個月的時間非常愜意,隔年我也以學部生的身分再度留學美國。而很幸運地我拿到了獎學金,所以周遭反對的聲音變小了。而我也在俄亥俄州的邁阿密大學取得學士學位,主修動物學。
我是在邁阿密大學確立我現在的研究方向,起因是某一天我在圖書館內隨意瀏覽時發現了一本名為《昆蟲行為》的書,給了我相當大的震撼。當然其中原因之一是這本書看起來很有趣,另外就是我不知道原來這樣的研究也可以成為一門學問。我馬上就開始搜尋邁阿密大學內可以研究昆蟲的研究室,而嚴格地來說,邁阿密大學內雖然沒有專門研究昆蟲行動的研究室,但剛好有研究蜘蛛的行為與生態的研究室,我也拜託該教授讓我加入研究團隊,並因此計畫了蠅虎蜘蛛的研究。我在取得學士學位(動物學)、兩個碩士學位(生物學與數學)及博士學位(動物學)後,又歷經博士後研究,因此長年旅美,但我至今仍然持續進行自學部生時以蠅虎蜘蛛為主題的研究。
現在我在臺大所進行的研究正是延續我在研究生時代的成果,其內容簡單地說是綜合群落生態學及行為生態學的研究,具體地說就是研究動物個體的行為會帶給群落動態(例如種之間共生的可能性)何等的影響,像是蠅虎蜘蛛在天敵出沒的地方即會採取迴避行為。自從研究以來,也漸漸領悟到要闡明群落生態之前,必須先釐清個體的行為因素,而我正是以蠅虎蜘蛛作為題材進行上述研究。在我到臺大以後,也逐漸注意到,比起動物行為本身,其個體間的行為差異更為顯著,而各種生物與人類一樣都存在個體上的差異。例如即使是同種同年齡相同大小的蠅虎蜘蛛,其移動速度上也有明顯的快慢之分。諸如以上的個體差異一般會在統計分析上被當作誤差處理,但其實個體上的差異是可以見微知著的。我正是研究上述生態學中個體差異的普遍性及重要性。
來到臺灣
我來到臺灣的理由其實跟當初留學美國的理由類似,因為我長年旅美,所以一直對外國很感興趣。剛好我看到臺大昆蟲系正在招聘教授,就深覺機會非此莫屬。因為看起來如此趣味,又加上臺大擁有絕佳的研究環境,世界上很難再找到第二個。我在臺灣也提升了我的飲食生活品質,雖然因為現在已習慣臺灣的飲食,所以漸漸失去了當初的那份感動,但其實剛來到臺灣的時候,光是在便利商店找到無糖綠茶及日式飯糰就讓我覺得像是來到天堂一般,加上臺灣的地理位置返鄉也十分便利。其實,便不便利對我來說不是那麼重要,來臺灣最大的魅力,還是來自於那份趣味-我對臺灣文化的高度興趣。
我首先注意到的是臺灣與美國學生的差異,那就是比起學生之間的差異,我覺得整體意識環境的差異更為顯著。以下純屬我個人意見:臺灣的學生好像不是很願意用功,不管在大學部或是研究所,總覺得好像不少人是為了取得學分所以才不得已念書,而其背景我想是否就正是這樣的意識在臺灣被視為理所當然的關係。少數學生雖然不管在任何環境中都能保持自我意識並不斷努力向上,但大多數的學生卻都是隨波逐流。可是反過來說,臺灣學生在其他環境下卻也容易高度意識到其他學生,而能夠互相激勵向上提升,因此我也想要對創造這樣的環境做出貢獻。
我在日本及美國渡過的時光剛好差不多一樣長,因此在我生命中已經度過了第一章(日本)、第二章(美國),而現在我來到了臺灣,我想第三章的新頁就是要從臺灣開始寫起。而很幸運地,昆蟲系的職員們及臺大的各位對我都很親切,讓我感到生活非常愜意,傾聽我的各種問題並切身地幫我處理,我在此致上感謝之意,並自當傾身相報為臺大這個大家族貢獻一己之力。(邀稿:昆蟲系楊恩誠副教授&生機系江昭皚教授)
圖說:
圖1:來到臺大後,仍持續以蠅虎蜘蛛為主題的研究。
圖2:與學生到溪頭進行田野觀察。
圖3:深受臺大絕佳的研究環境所吸引,決定來此展開人生第三章。
圖4:臺灣的學生在學習態度受整體環境意識所影響。